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玉居子泰子のワタシ逆クリエイトエッセイ

    ワタシ逆クリエイトエッセイ 第2回 幕開けがこわい

    玉居子泰子のワタシクリエイトなエッセイ

    第2回 幕開けがこわい

    気がつけば2021年、旧暦の新年、立春を迎えましたね。



    新型コロナウィルス感染拡大の影響で、帰省や旅行も制限されて、ご自宅でゆっくりと過ごされた方も多かったと思います。
    医療関係者の方々はじめエッセンシャルワークに関わっていらっしゃる方々は、年末年始もなく大変な時間を過ごしていたかもしれません。

    本当にお疲れさまです。


    私自身は年をまたいでの〆切や〆切や〆切は抱えていたものの、せわしない気持ちを少しおいて、ごくごく身近な家族と、ゆったりとした年末年始を時間を過ごすことができました。



    それがどんなにありがたいことかとしみじみ実感できたのは、2020年が全世界的にも、もちろん私にとっても大変なものであったから。大切な人との楽しい時間を失った経験があったからこそ、日々を生きていることのかけがえのなさを噛みしめられたのでしょう。

    みんなも私も、それぞれにお疲れさまな一年でした。



    さてさて、ところで、皆さんは朝日と夕日とどちらが好きですか?

     
    私は断然夕日派でした。

    毎日夕方になって夕日が美しく空を染めると、肩に入っていた力がフーッと溶けていく。

    ピンク、薄いブルー、群青、金色、黄色、水色、紫と、幾つもの色が重なり合う夕空は(東京郊外の町に住んでいるので、やたらと空が高く広く見えるのです)、良いことがあった日も、頑張れた日も、大して何もせずにだらだらおやつを食べながらネトフリを見ちゃった日も、

    「お疲れさまー、終了ですよ、もうすぐ試合終了ですよ、冷蔵庫に白ワインは冷えてますか? 夕ごはんは何にする?」と語りかけてくれるような気がします。


    この「もうすぐ終了ですよ」が私にとっては何よりのご褒美なのです。


    ここまでくれば今日はなんとか乗り越えたも同然。勝ったとはとても言えない、「何もできなかったな」と思った日であっても、いいんです。

    一つ一つを振り返れば、結構、いろんな時間を過ごしているじゃないの。なんとかやったじゃないの。だからそれをよしとして、心の中で数える、ということをここ数年意図的に行うようにしています。



    ・朝、起きて亀の水槽の水を換えた。
    ・朝ごはんに、子どもたちにフレンチトーストを焼いた。偉すぎる。
    ・ルンバをかけた(偉いのはルンバだけど)。
    ・テープ起こしを終えて、原稿を3行書いた(3行かけたら最後まで書ける!いつか!)。
    ・取材したい人に企画書を送った。
    ・娘を友達と遊ばせたついでにママ友と情報交換した(だいたい情報をもらう側)。
    ・団地理事会の広報誌の原稿を書いた。


    とか。そして、「ああ、今日もなかなかよく生きた生きた」と自分を励まし、慰め、1日を無事過ごしたことにホッとするのです。

    Oh Viva la Vida!

    翻って、朝はどうでしょう。

    朝、目がさめると同時に、今日しなくちゃいけないこと、やりたいこと、予定などを、頭がピピーンと考え始めます。

    早朝に出勤する夫を見送ってから、朝ごはんから子供達が学校に行くまでに、基本的な家事を全部済ませておきたいので、時間勝負です。

    一日で一番、ちゃきちゃき動きます。

    学校に行きたくないと娘がぐずったり、息子と娘が兄弟喧嘩をしたり、「あ、算数のノートがない」とか「集金今日だった」とか言いだしたりしなければ、

    起床から2時間の間に、朝食、皿洗い、(超基本的な)掃除、洗濯、ゴミ出しまで一気に無事終えられます。終えられなかったら、最後、一日が始まったばかりで、もう負けたも同然です。

    午前8時を過ぎて、慌てて、さて、今日、やるべき仕事はなんだったっけ? と考えるも、ぼうっとしたり、うっかりyoutube沼にはまったりしてしまったら、もうドツボです。

    書かなくちゃいけない原稿も、早く出したい企画書の準備も、中途半端になってる資料づくりもどんどん積み重なっていって、罪悪感と絶望感で逃げ出したくなります。

    「やりたいこと」を実践するには、地味で面倒な「やるべきこと」を積み上げていくしかない。いつも楽しくできるわけじゃありません。ややこしくて、難しくて、自分の能力の足りなさを思い知らなくちゃいけないときもある。

    つまり朝、私はこれまでゆっくり朝日を見る余裕さえなかったのです。

    燦々と誰にも平等に降り注ぐ太陽が、「頑張れ頑張れ」と無言のプレッシャーをかけてくるようで、どこまで幕開けのエンジンをふかせるのか、冷や汗をかきながら緊張でいっぱいだったのです。

    でも、2020年、いろんなことが「いつも通り」にはとてもいかなくなって。私一人がどんなにエンジンをブンブンふかしてスピードを出していこうと思ったところで、行く先にはあちこち障害物があり、寄り道せざるを得ない状況があり、朝、目覚めると同時に、今日がどうなんるんだろう?と道が見えないこともありました。

    そんな時、夏のある期間、「お日様がのぼる前に起きて、朝日を眺める」というアートプロジェクトに参加する機会がありました。

    夏の日の出は午前5時前後。

    まだ薄暗いなか家を出て、少し高台の小山に登って朝日が昇るのを眺める。それだけです。

    早起きの娘も一緒に出かけてくれました。

    真っ暗闇が少しずつ濃い群青に変わったと思うと、遠くに紫、オレンジのグラデーションが浮かび上がる。

    暗闇だと思った場所にはのんびりとそこに佇んでいた白い雲がいくつも現れ、淡い水色やピンクが幾重にも重なりあい、その美しいキャンバスを、鳥たちが自由に飛び回ります。

    娘と二人、首が痛くなるまで空を見上げれば、そこには美しさしかありません。

    世界が確かな光の中にくっきりと浮かび上がるまで、言葉もなく立ちつくしていると、

    ようやく、ようやく、遠い遠い向こうから、遠くの山々やビルや木々の影の隙間を縫って、黄金の光がものすごい勢いで差し込んでくるのです。

    木漏れ日なんてものじゃありません。圧倒的なビームです。ビーム。

    でも、その光は、決して私たちに「今日もいちにち、頑張りなさい。全力で生きなさい。はい、〆切三本やっつけちゃいなさい。人には優しく、自分に厳しく、生産的に生きてくださいよ!」なんて言ってなかったのです。

    ただただ、自分の内側から放たれる熱と光を、1億5千万キロの彼方から、私たちの星にも、優しく降り注いでくれている、それだけなのでした。
     

    夜の間に増えたH2Oをたっぷり吸い込んで、鳥たちと一緒に広々とした地球にいられることに感謝して、私と娘は、ふくふくとした気持ちで家に戻りました。たった30分かそこらの朝の散歩が、私たちの内側に、一日を過ごすための柔らかなエネルギーを満たしてくれたのでした。

     
    ただ、今日を自分のままで過ごせたら、勝ったも負けたもないんだよ。

    そんなふうに、ワタシが少しずつ作られていくんだと、お日様は教えてくれました。


    2020年、私が得た一番の収穫は、夕日と同じくらいに朝日を好きになったこと、かもしれません。

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    written by
    玉居子泰子(たまいこ・やすこ)コアクルー /編集者・ライター
    出版社勤務を経てフリーに。2005年〜2007年ベトナム・ホーチミン市に暮らし、 海外生活、地元の人々の生活を取材・執筆する。 帰国後は、妊娠出産・育児をしながら雑誌『AERA with Baby』の編集記者を務める。 その後も親子の対話「家族会議」、個を大切にする教育、福祉、自分らしく生きることと死ぬことをテーマに 執筆活動や、講演・講座・ワークショップ、個人へのインタビューセッション (リンク:https://tamaikoyasuko.com/session/)などの活動を続けている。 著書:『世界はまた彩りを取りもどす〜』(ひとなる書房 2019年)
 連載:『家族会議のすすめ』(東洋経済オンラインhttps://toyokeizai.net/category/family-meeting) 
『病いと子供と私』(Wezzy:https://wezz-y.com/archives/category/column/sickand)