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ワタシ逆クリエイトエッセイ 第1回 本音のタネ
第1回 本音のタネ
「それで、肩書きは『ライター』でいいんですか?」
きた……。また。ここ数年、新しく知り合う人や仕事でご一緒する人にそう尋ねられることが増えてきました。「”ライター”ってだけじゃないですよね?」と相手がおっしゃるその真意はわからないのだけど、その度に「ええ、まあ。本職はライターなんですけど、いろいろやっていて……」と歯切れの悪い返事で逃げていました。
はじめまして。ライターの玉居子泰子(たまいこ・やすこ)と申します。20年前、氷河期時代の就職活動で、大学4年の12月(!)にようやくとある出版社に拾ってもらった私は、なんとか希望していた書籍編集の仕事について以来、本に関わる仕事をしてきました。
といっても、氷河の上で溺れそうになっていた私を助けてくれたその船を、私は3年半で退社。
本を作る仕事自体はすごく面白かったし、好きだったけれど、優秀な上司先輩同僚後輩に比べて、あまりにもむいていなかったのです。
それ以降は全くのフリーランス になって、ベトナムに行ったり日本に帰国したり、子供を産んだりしながら、自分のペースでできる仕事をしてきました。
編集、翻訳、通訳、取材コーディネートなどをしながら、次第にベースとなっていったのは、雑誌やウェブサイトに原稿を書く仕事でした。出版社からの依頼を受けて、旅、仕事、暮らし、出産、育児、教育などそれぞれのテーマで、誰かに取材をし、それをもとに記事を書く。
いろんな人に会って、その方の物語を聴き、原稿にする。それは自分に向いている仕事だと思いました。天職だと今でも思っています。人に会って深い話を聞くのはめちゃくちゃ楽しいし、新しい気づきがある。そして一人こもって、読者に読んでもらえるよう言葉と向き合う時間も私にはとても必要なものでした。
ところが、この仕事を10年以上続けてきたあたり、数年前から何かがおかしいなと感じるようになってきました。書くことができなくなってきたのです。文章を書くことが子どもの頃から好きだったし、大人になってからも好きだったけれど、ものすごく書くことが辛くなってきた時期でもありました。全然書けなくて、書いている途中も苦しくて。仕事だからなんとか書いて、それが喜んでもらえたらホッとするけれど、自分の中の合格点に達するまで、神経と体力をすり減らすようになりました。思えば、Atlyaとの出会いはそんな2年ほど前。
当時私は、babanofukuという着物をほどいて1着の洋服を作るブランドを実母と立ち上げたばかりで、Atlya参宮橋のすぐそばのスペースを借りて、初めての展示会を開いていました。
ちょうどAtlyaでも何かイベントが行われていて、のぞいてみたところから、Atlya代表の井尾佐和子さんとの糸が、ピコーンと繋がったのです。
それからというもの、何度かAtlyaでもbabanofuku展示会をさせてもらったり、2019年に著書を出した際に紹介していただいたり、家族との対話を深める「家族会議」のワークショップを開かせてもらったりと、細かった糸を編むようにご縁も少しずつ太くなってきています。
同時に、この頃から私はライターの仕事以外にも、いろいろなことを同時多発的に行うようになってきました。服を売ったり、書くことや聞くこと・対話についての講演やワークショップを開催したり、コロナ禍の自粛中にはyoutubeやpodcastを初めてみたり。誰かから頼まれたことや、誰かのためになるかもしれないと思えるようなことで、自分にできそうなことは流れに乗ってやってみることにしたのです。
誰かから何かを依頼されるというのは嬉しいもので、普段、自己効力感があまり高くない私でも、初めてトライすることでも、頼まれたからには多分できるんだろう、と勇気が湧きます。
「ちょっとお願いしたいんだけど」と言われると、はいはいはいいいですよ、と尻尾を振ってついて行き、相手の求めるものを想像して体と頭と心を使えば喜んでもらえる。
誰かが喜んでくれることで達成感も承認欲求も満たされていきます。人とのつながりの中で、生まれる楽しさやワクワクもある。
頼まれたことをやるということに自分を使うことが、仕事だと思ってやってきました。
誰かのためなら頑張れる。自分が黒子になって何かをして喜んでもらう。自分のそういうところが、嫌いなわけじゃありません。ドラえもんがポケットの中を「あーでもないこーでもない。あれでもない、これでもない」と慌てて探して、なんとかのび太を満足させようと必死になって道具を出す、ああいう感じでやっているのも楽しいから。
でも、ふと一人になると、自分の中にある本音の種が疼くようにもなりました。
「おーいおーい」と。
「ワタシは一体、一番何がしたいわけ?」
「ワタシは一体、なにが書きたいの?」
「ワタシはワタシに、何を依頼したいの?」
幼い頃から本を読むのが好きで、文章を書くのも好きで、将来は書く仕事をしたいと思い続けていました。だから、子どもの頃の夢は、多分叶えたと言えるのかもしれない。でもその本音の種は「まだ違う、まだ違う」と言い続けている。
だから一番比重が多くてやりがいもあるライターの仕事でさえ、「これが私の仕事」とは言い切れず「肩書はライター?」と聞かれるとモゴモゴとしてしまうのです。
そしてそれが、自分をそのままに出していないからだ、ということに最近では薄々気がつき始めてもいました。本音の種の周辺ばっかりどんなに丁寧に耕して水をあげたって、肝心の種から芽が出ないのです。
これまで1000人2000人という人に話を聞いてきて、その人たちの物語を語り直してきて、文章の中で筆者である「自分」を出すことを徹底して避けてきました。誰かの声を代弁していくことが天職だとも思っている一方で、どんどん何かが苦しくなってきたのです。
私がやっていることには何かが足りない。それは“自分を書く”ということだと。
自分を出すのは、とても怖いことです。何者でもない私の話を、誰が聞くんだろう?と。今も思います。
それでも、私が何者なのか、どこを見て、どこに向かって生きているのか。他の人たちの大切な人生をたくさん分けてもらって伝えてきた私は、そんなことをもうそろそろちゃんと出していかないと、ダメなんじゃないか。自分自身の内側も変わっているし、求められているものも変わってきているんじゃないか、そう認めざるを得なくなってきたのです。
両方が必要なんだ。あなたの物語とワタシの物語が。そのことにやっと気づき始めたのです。
そんなある日、たまたまAtlyaで佐和子さんと打ち合わせをしていました。書く仕事とは全く別のことで。確かbabanofukuを松屋銀座さんのワタシクリエイトCollection展に出させてもらうという契約の話でした。
ふとした時に、私はうっかり言ってしまったのです。誰にも言っていないことを。
「エッセイをちゃんと書いていきたいんですよね。誰にも頼まれてないけど」
初めていう言葉に、ドキドキしている私をよそに、佐和子さんは間髪入れずに言いました。
「え? 書いてないの? 書いてよ。ワタシが依頼する」
「え?」
「泰子さん、依頼されないと書かない気がするから、私、依頼するから、書いて。読みたいよ」
その言葉で、するすると何かが解けていく気がしました。同時に、小さな覚悟を決められた気がしました。
こんな、恥ずかしいところだらけで、とても物語になりそうにない私を、ちゃんと表に向かって出していくことを。なんだかいろいろなことが逆回りで遠回りすぎる人生な気がするけれど、今がその時なのかもしれない。黒子でいることが好きだと思い続けていたけれど(正直、今も好きだけど)、自分の内側に流れるものを出すことが怖かっただけなのかもしれない。自分をさらけ出すことで、相手の望んでいる何かにたどり着いて回ることもあるのかもしれない。
ワタシを創るということは、何もないところから、確固たる目標を設定してそこに向かっていくことだけじゃなく、今まで歩いてきた自分だけの道を、今ココから振り返って見えてくるワタシを新しく見つめ直しクリエイトしていくことでもあるのかもしれない。というところで、どうしようもないワタシの恥ずかしいところも含めてワタシ逆クリエイトエッセイ連載を始めていきたいと思います。
私が持っている「どうしようもないところ」があなたのどうしようもないところと共鳴することを願って。
もう、本命から逃げないで。種を育てていこうと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです。
(リンク:https://tamaikoyasuko.com/session/)などの活動を続けている。著書:『世界はまた彩りを取りもどす〜』(ひとなる書房 2019年) 連載:『家族会議のすすめ』(東洋経済オンラインhttps://toyokeizai.net/category/family-meeting) 『病いと子供と私』(Wezzy:https://wezz-y.com/archives/category/column/sickand)